ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア
ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの『星ぼしの荒野から』(ハヤカワ文庫SF) を読みつつ、SFマガジンのティプトリー特集を漁る。なんかしらんが、うちには、ティプトリー特集だけはいろいろあるんである。
ティプトリーについて、書きたいことはいろいろあるのだけれど、とりあえず今、気になっているのは、どうして「彼女」が2回も”ブス”について書かなきゃならなかったのかということだ。「接続された女」そして「たおやかな狂える手に」。一番ありそうなのは、「彼女」が自分を”ブス”だと思っていたって話だけど。
”ブス”というのは、男性中心社会の階級制度においては最下層民なんだよね。二重に疎外されたほとんど人間扱いされない存在で、実際「接続された女」でも「たおやかな狂える手に」でも”ブス”な少女はそういう扱いをされ、そしてSFの展開の中でようやく「救われる」。そういうSFおとぎ話を書いた、書かずにいられなかったティプトリー/アリス・シェルドンという人間もまた、ものすごく疎外された存在だったように私には思える。
それはさておき、文庫本版とSFマガジン掲載版を読み比べたら、訳の違いが目に付いたので、メモしておく。ネタバレなので、未読の人は注意。
「たおやかな狂える手に」のラストの訳文
で、1993年12月号のSFマガジンに掲載された「たおやかな狂える手に」と『星ぼしの荒野から』に収録されている同作品では、訳が微妙に異なっているのを発見する。訳者はどちらも伊藤典夫氏。とりわけ大きな違いは、ラスト5行だろう。
『星ぼしの荒野から』では、以下のようになっている。
キャヴァナ + キャロル
愛と酸素から生
ミル=ミルの決意はゆるがなかった。時がたったころ、どこかで誰か、強烈なあこがれを
こめ、星々を見上げる人間なりエイリアンがいた。すると聞こえたような気がしたのだ、
なにか……
が、SFマガジン1993年12月号では、以下のようになっている。
キャヴァナ + キャロル
愛と酸素に誓
ミル=ミルの決意はゆるがなかった。時がたったころ、どこかで
誰か、強烈なあこがれをこめ、星々を見上げる人間なりエイリアン
がいた。すると聞こえたような気がしたのだ、なにか<声>が……
『SFマガジン1993年12月号』
石のメッセージに関しては、私は『SFマガジン』の方がいいような気がする。原文はどういうものなのだろう?
「スローミュージック」のラストの訳文
『星ぼしの荒野から』に収録されている伊藤典夫訳の「スローミュージック」と『SFマガジン』1989年12月号に掲載された今村徹訳のものをざっと読み比べてみて、びっくり。訳によって作品のイメージというのは随分と変る。
今村訳のジャッコは伊藤訳のジャッコよりも、若くて初々しい感じ。一人称が「おれ」の伊藤ジャッコは、性格悪そう(笑)。ピーチシーフも今村訳の方が若い感じ。まあ、ティプトリーの描く「男」としては、伊藤訳の方が正解かもしれませんが、私は、今村ジャッコの方が好き。
もっとも大きな違いは、ピーチシーフとジャッコがエアパークで出会う老人のキャラクターで、この違いは、登場人物と読者の前から「名前もしられぬ」まま姿を消すこの老人の正体を、伊藤典夫氏の方は気づいていたからだと思う。この老人の名前は多分アリス=ジェイムズ(つまり作者自身)。読者の興を削ぐような解説は一切行っていないものの、あとがきの記述と「”細動”」(p.277)、「おとこおんな」(p.286)といった記述を付き合わせると、伊藤氏が、この老人の口調に老女アリスの口調を重ねていたことは明らか。
ラストも伊藤訳と今村訳はだいぶ違う。「ピーチシーフ! おれの大事な人、もどってきてくれ!」(伊藤訳 p.303)って、だめですよ「おれの大事な人」なんて入れちゃったら、女はしらけちゃいますって。それに「彼は妖怪など欲していなかった」って……よ、妖怪ですか……!? (ちなみに今村訳では「亡霊」。原文は?)
お二方の訳したラストはこんな感じ。
それでもなお、地球人としての彼のエッセンスは、彼女のエッセンスを追って、閉ざされてゆく無限の霧の中へゆっくり動いてゆき、彼の姿をリヴァーに刻みつけた。亡霊のような白い乳鹿を追っていった愛らしい黒髪の娘を永遠に求め続けるかつて男だったものを。
(今村徹訳,『SFマガジン』1989年12月号 p.103)
それでもなお、彼の地上的なエッセンスは、閉じゆく無限の霧のなかをゆっくりと進んでいた。かつてひとりの男であったきらめく輪郭を<河>に浮かべ、おぼろな白いミルク鹿を追って消えた浅黒い肌の女を永遠に恋い求めながら。
(伊藤典夫訳,『星ぼしの荒野から』, p.304, ハヤカワ文庫SF)
この部分の比較だけでも、両者の訳の人物解釈違いというのは分かると思う。少年少女の今村訳に対して、男と女の伊藤訳。
私は生硬な感じはするものの、亡き妻を追って星になった男の神話を思い起こさせる今村訳の方が好き。伊藤訳だと神話っていうより、人間くさい。
メインは今村訳で、老人の出てくるところは伊藤訳ってのが、私にとってのベストな訳なんだけどなぁ。
書誌情報
書名:『星ぼしの荒野から』
著者:ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア/著 伊藤典夫/訳 浅倉久志/訳
書誌:(早川書房 ハヤカワ文庫 SF 1267,1999年3月,882円,ISBN4-15-011267-3)
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