クロウリー『リトル、ビッグ』
ジョン・クロウリー『リトル、ビッグ I』『リトル、ビッグ II』(国書刊行会)
紹介
大都会の彼方、とある森のはずれに建つ広大な屋敷「エッジウッド」。そこでは「こちら」と「あちら」の世界が重なりあって存在していた。 19××年のある日、青年スモーキィは、屋敷の主の娘と結婚するため、奇妙なやり方でエッジウッドを訪れた。
エッジウッドで暮らすことになったスモーキィは、やがて自分がその一族にまつわる謎と神秘の世界にからめとられ、長い長い物語のうちに引きずり込まれていることに気づきはじめた…。世界幻想文学大賞受賞作。
コメント
「リトル・ビッグ」だと思っていたら、「リトル、ビッグ」、すなわち「小さい、大きい」という矛盾する二つの形容詞が並んでいる題名だった。この題名からピンとくる人もいるかもしれないが、中身はルイス・キャロル的イメージに満ちている。たとえば登場人物の名前、少女たちの写真、鏡を通り抜ける、森の中のテーブル等。また、[1]エッジ・ウッドのV 「森の中で」では『遠野物語』的展開の上に衣装箪笥(いうまでもなく『ナルニア』の重要アイテム)まで登場する。いったいこれは何だ?
登場人物たちの名前もDrinkwaterだのUnderhillだのMouseだのBirdだのFlowerだのWoodsだのMeadowsだのと、なにやら「あやしい」。ひょっとしてアレゴリー的に読み解かなくてはいけないものなのかもしれない。翻訳を通してだと元の単語がわからなくて、もどかしい。こうなると、瀬田貞二氏がフロド・バキンズの変名を「山ノ下氏」と訳したのも一つの手であったという気がしてくる。
FF7をデフォルトの名前で遊んでいる最中だったので、中に出てくるおばさんの一人が「クラウド」と呼ばれているのには参った。「クラウド」が出てくるたびにツンツン頭のクラウド君のイメージが浮かんでしまうのだ。
(1997.09.12)
ジョン・クロウリー『リトル、ビッグII』(国書刊行会)は、ある種のハッピーエンドにも関わらず、もの悲しい結末だった。
『リトル、ビッグ』の下巻なのだが、読むまでに2ヶ月も間があいてしまって、話を思い出すのに難儀をした。登場人物表が上巻にしか載っていないのが辛かった。
妙な話なので、あらすじには、ほとんど意味がないのだが、一応の整理のために記すと…。
エッジウッドに住む一族の長男オーベロンは、都会に出て、プエルトルコ系の美少女シルヴィーと恋に落ちるが、「かれら」の計画によって、二人は引き離されてしまう。
一方、エッジウッドから連れ去られた赤ん坊のライラックは、眠りにつく。
その頃、大統領に選ばれようとしていた男は、実は神聖ローマ帝国の皇帝であり、彼が支配者になることにより、世界は冬の時代へと突入する。(とはいえ、エッジウッドには、あまり変化はない。)
やがて、目覚めたライラックは、エッジウッドの一族を連れて、「あちら」へと向かうのだった。
でもこのあらすじは、あんまり信じないほうがよいと思う。繰り返すが、この物語はあらすじだけを追っても意味がないのだから。
エッジ・ウッドという屋敷が、あらゆる様式の寄せ集めであり、決して全体を把握できず、それでいて何かを象徴しているように、この物語自体も、あらゆる妖精物語の寄せ集めであり、決して全体を把握できず、それでいて何かを象徴している。
登場人物がオーベロンだったり、シルヴィーだったり、アリスだったりするのは、もちろん意味がある。登場人物の名前で、ピンときたアナタは正しい。名前は重要。名前に含まれた記憶までもが物語に流れ込む。ライラックやソフィーにも意味があるはずなのだが、この二つはよくわからない。ヴァイオレットとライラックは、アンドリュー・ラングの本だろうか?
手元に置いておくべき本のような気がするのだけれど、上下巻で6000円というのは辛い。
(1997.12.05)
書誌情報
書名:『リトル、ビッグ I』
著者:ジョン・クロウリー/著 鈴木克昌/訳
書誌:(国書刊行会 文学の冒険シリーズ,1997年6月,2600円+税,ISBN4-336-03580-6)
ネット書店リンク:【bk1/amazon/Yahoo】
書名:『リトル、ビッグ II』
著者:ジョン・クロウリー/著 鈴木克昌/訳
書誌:(国書刊行会 文学の冒険シリーズ,1997年6月,2600円+税, ISBN4-336-03581-4)
ネット書店リンク:【bk1/amazon/Yahoo】
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